あさが来た 75話 あさと大久保利通

やっとの思いで東京の五代友厚(ディーン・フジオカ)の事務所に到着したあさ(波瑠)とうめ(友近)のもとに現れたのは、明治政府の内務卿・大久保利通(柏原収史)でした。大久保卿と話すうちにあさは改めて大阪のためにがんばろうと決意します。一方、大阪に残された新次郎(玉木宏)のもとにある一通の手紙が届き。。。

『あさが来た』第13週75話「東京物語」あらすじ

鉱山王・五代友厚

東京へやってきたあさ(波瑠)とうめ(友近)は、ようやく五代友厚(ディーン・フジオカ)の事務所「東弘成館(ひがしこうせいかん)」へ到着しました。

日本全国の炭鉱を保有する五代の炭鉱会社「弘成館(こうせいかん)」は大阪だけでは手が足りなくなり、東京にも200人規模の会社「東弘成館」を作っていました。五代の事業の大きさに驚くあさに五代は「あさを東京へ呼んだのには理由がある」と言い、あさに会わせたいとある人物を連れてきます。

その人物は、明治政府の内務卿・大久保利通(柏原収史)でした。

あさと大久保利通

今の政治のトップ・大久保利通の登場に驚いたあさはうめを振り返りますが、長旅に疲れてしまっていたうめは座っていたソファーでスヤスヤと眠ってしまいます。

あさの目の前で、五代と親しそうに話す大久保の様子にあさはふたりの仲を不思議に思い訊ねると、大久保はふたりの故郷・薩摩のいろは歌「善し悪しき、人の上にて身をみがけ、友はかがみとなるものぞかし」のように切磋琢磨した級友で心の友だと五代との仲を説明する大久保。

するとあさは「友に厚いの友厚」だけあって友情には厚いのですねと話すあさに対して「興味深いご婦人だ」とユニークなあさの返しに嬉しそうに笑う大久保です。

文明開化とアイスクリン

あさは豪快に「アイスクリン」を頬張りながら、文明開化の恩恵の素晴らしさに感動していると、大久保はこれが明治政府のやりたかったことなのだと話します。

しかし、大久保は大阪には古くから商いの町として栄えてきた歴史や、大阪商人の知恵と経験、そして誇りこそが世界と対等に渡り合える力になると称した五代の言葉をあさに伝えると「大阪にこの国の未来がかかっている」その言葉にあさは改めて大阪のためにがんばろうと決意を新たにする。

友情の証・シャエイクハンド

日本が世界と対等に渡り合うためには、大阪が大きく育ち、ほかの土地や東京とひとつになって大きな経済を生み出すほかないと大久保はあさに話し「これからも五代に、そしていずれはこの私にも力を貸してください」と頭を下げる大久保に「わかりました。任しておくなはれ!」と胸を張ってふたつ返事をすると、あさは力強く大久保と友情のシェイクハンド(握手)をかわすのでした。

その夜、あさは東京の街の「ガス灯」を眺めながら大阪に残した新次郎と千代のふたりにもこの景色を見せてあげたいと愛する家族のことを思います。

新次郎のやきもき

そのころ大阪では、新次郎(玉木宏)が千代の世話をしながら、これまでの五代の態度を思い起こしては、あさのことが心配になってため息をついていた。

五代の持っているようなものをあさに与えてやれないと肩を落とす新次郎にふゆ(清原果耶)は「新次郎さまが男として誰かに負けるなんてことある訳がございまへん!」と何も心配するようなことはないとの励ましに表情が和らぐ新次郎。

店を覗く怪しい男の姿も見えなくなり、ふゆの励ましに少し安堵した新次郎が千代を抱いていると、そんな新次郎にふゆは熱い視線を送ります。その様子に、そば居た亀助(三宅弘城)は「ひょっとして。。。」とふゆの様子に違和感を感じるのでした。

そんな加野屋にある一通の手紙が届けられ、その手紙の内容を見た新次郎は。。。

新次郎がいろいろなことにやきもきしている間にも、東京のあさは五代に連れられ、東京の新しい名だたるところを見学していました。

そしてあさは牛鍋屋へやってくると、ある人物の姿を探します。

その待ち合わせをしているある人物とは?

『あさが来た』第13週75話「東京物語」解説

今回は「弘成館(こうせいかん)」「アイスクリン」「薩摩のいろは歌」「ガス灯」について解説していきたいと思います。

弘成館(こうせいかん)」とは
五代友厚は明治3年(1870年)ごろから、銅山や銀山、炭鉱などを次々と買い上げ鉱山経営をはじめ、明治6年(1873年)にはさらなる鉱山経営拡大のために大阪に弘成館(こうせいかん)を創設。

翌年の明治7年(1874年)には東京の築地に東弘成館(ひがしこうせいかん)を設立し、東西の事務所と炭鉱夫など、その現業員の数は数万人にもおよび、明治に名を残す大鉱山王でした。

アイスクリン」とは
日本ではじめてアイスクリームが誕生したのは横浜馬車道の町田房造という人物が明治2年(1869年)に「アイスクリン」と名称で販売したのがはじまりです。販売当初は外国人だけに好まれていましたが、販売1年後には東京の西洋料理店や西洋洋菓子店にも広がり、日本中に広まりました。現在「アイスクリン」の名称で販売されているものは、生クリームを使わずに牛乳と卵を使った乳脂肪の少ない氷菓をさします。

薩摩のいろは歌」とは
薩摩の名家・島津家の分家・島津日忠良(のちに新斎)が、家訓として作り上げたもので、儒教的な教えを基礎に薩摩の風土に沿った教育を論じた「日新斎いろは歌」のなかにある歌のひとつです。

「善し悪しき、人の上にて身をみがけ、友はかがみとなるものぞかし」とは、善いことも悪いことも、人の姿を見て自分のことと思い、反面教師として常に改める心がけをしなさい。親しき友人は自分を映す鏡と戒めなさい。それを日々繰り返して自分を磨くようにという意味がこの歌にはこめられています。

ガス灯」とは
直接火口から火を灯して、ガス火を直接明かりとして利用したものです。日本でガス灯が利用され始めたのは、安政4年(1857年)ごろ。鹿児島県鹿児島市・仙巌園の石灯籠にガス管を繋いで、明かりを灯していました。明治時代に入ってからは、西洋式のガス灯が使用されるようになります。日本ではじめて西洋式ガス灯を実用したのは、明治4年(1871年)五代友厚が建造に尽力した大阪府大阪市にある造幣局でした。その当時使用されていた西洋式ガス灯は今も造幣局内に現存すています。

【五代友厚と大阪商業について】→コチラ 第4話「小さな許嫁(いいなずけ)」へ

【大久保利通について】→コチラ 第32話「妻の決心、夫の決意)」へ

『あさが来た』第13週75話「東京物語」感想

今回は、文明開化万歳な 回でしたね。

またまた冒頭から大物・大久保利通の登場です!

今週はなんだか大物との出会いと文明開化の紹介、新しい波乱の香りがしますね(笑)個人的には新次郎が驚いていたあの手紙は九州の炭鉱へ向った榮三郎からのものではないかとよそうしています。

そして、大阪では亀助さんがとうとうおふゆちゃんの秘めた恋心に気づいたようすです。亀助さんの恋心は一体どうなってしまうのか?

あさが入った牛鍋屋に偶然居合わせた福沢諭吉さん。このあと一体どう、あさと再会をはたすのかが楽しみですね。

今日の名言は
大久保利通(五代友厚)の 「大阪にこの国の未来がかかっている」です。

一極集中ではなく日本全体として世界に挑もうとしている大きな思想を描いていることが伝わりますね。

明治政府の内務卿・大久保利通との出会いから、日本と大阪の未来を託されたあさが牛鍋屋で待ち合わせをしているある人物とは!?
一方で大阪では、新次郎が送られてきたある一通の手紙に目を見はります。
亀助のふゆへの恋の行方は!!?一体何が巻き起こるのでしょうか?

次回、『あさが来た』第76話「東京物語」お楽しみに!!!

『あさが来た』もくじ あらすじと解説・感想

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

ページ上部へ戻る