あさが来た 76話 あさ福沢諭吉との再会

あさ(波瑠)が待ち合わせていたのは、弟の忠嗣でした。両親に内緒で東京に来ていたあさでしたがそれを父・忠興(升毅)に知られてしまう。あさがこれからの女性のありかたについて話しをしていると、そこへ割って入ってきたのは。。。

『あさが来た』第13週76話「東京物語」あらすじ

今井家の人びと

牛鍋屋へやってきたあさ(波瑠)がまちあわせていたのは、近頃では家の仕事も任され立派になった弟の忠嗣(興津正太郎)でした。

父と母の様子を聞くあさに忠嗣は母・梨江(寺島しのぶ)は今井の分家の七回忌で下総(しもうさ)の市川まで手伝いに出ていて、父・忠興(升毅)も元気だと答えると、自分のアメリカ留学の話しも聞いて欲しいと話をはずませる。

「アメリカのお方てみんな背が6尺5寸あるて、ホンマ!?」(あさ)

両親に内緒で忠嗣と会うあさと忠嗣に苦言するうめ(友近)に、あさはまだ幼い千代を夫・新次郎(玉木宏)に任せて東京にやってきたと知られたら怒られてしまうというあさの背後に「せやな、そらぁえらい怒らはるやろな。。」と、仁王立ちの父・忠興(升毅)が立ちます。

福沢諭吉とあわおこし

忠興は忠嗣の様子がなにかおかしいとあとをつけてきたのでした。

千代を夫・新次郎に任せて東京へ勉強にやってきたというあさに呆れた忠興はあれやこれやと切々と叱りつけるも、あさはどこ吹く風。

堀江のあみだ池で買った「あわおこし」を手土産にあさは女性の社会進出について話していると、そこへ偶然後ろに居合わせていた福沢諭吉(武田鉄矢)が割って入って来て「独立自尊」と女性の社会進出についてひと通り熱く語り「あなたはいつかおなごの社長になりなさい。」と言うと「あわおこし」を手に去っていきます。

これから7年後に福沢諭吉は、新しい時代の女性の在り方を提案する「日本婦人論」を刊行します。福沢の書物はこの先も長きに渡り、あさの心を支えることになるのです。

あさもひとりの商売人

あさとは忠興に明治政府の内務卿・大久保利通(柏原 収史)と会ったことや、炭鉱の経営や銀行経営の難しさについて語り合うと、あさは「お互い辛抱の時だすな」と父・忠興にいたずらに笑う。

店を出た忠興はもうひとりの商売人になったんだなとあさのことを認め、祖父・忠政(林与一)が生前「あさを男として育てよう」と提案し、家督をあさに継がせようと言っていたことを思い出します。

「負けたわ。。。お父はん」(忠興)

大久保利通熱い想いとともに

そのころ、五代友厚(ディーン・フジオカ)と大久保利通は、産業・農業・文化・教育・女性の教育育成にと、日本の改革はまだまだこれからだと夜を通して熱く語り合っていました。

そして、あさが大阪へと帰る日、五代があさを見送りに向かおうとすると突然ある事件が五代のもとへ伝えられる。

それは、明治政府の立役者・大久保利通の突然の訃報でした。

『あさが来た』第13週76話「東京物語」解説

今回は「牛鍋屋」「六尺五寸(ろくしゃくごすん)」「下総(しもうさ)の市川」「堀江のあみだ池のあわおこし(ほりえのあみだいけのあわおこし)」「日本婦人論」「大久保利通の最後」について解説していきたいと思います。

牛鍋屋」とは
牛鍋とはいわゆるすき焼き鍋のことをいいます。当時の牛鍋の主流はみそ味で、みそ煮込みのような感じでした。はじまりは文久2年(1862年)に横浜の入船町の居酒屋「伊勢熊(いせくま)」が提供していたものを、あまりにも人気が出たため本業とべつに牛鍋屋を開業したのが最初の牛鍋屋だと言われています。明治元年(1868年)になると、横浜につづいて東京でも近代化が進むにつれ外国人が増えたことにより、牛肉料理の市場が広がり、牛鍋屋が日本人の穴かでも大流行。明治元年以降、牛食・牛鍋は文明開化の象徴になっていきます。

六尺五寸(ろくしゃくごすん)」とは
6尺5寸(約197cm)のことです。

下総(しもうさ)の市川」とは
現在の千葉県市川市のことをさします。

堀江のあみだ池のあわおこし」とは
大阪は北堀江にある「株式会社あみだ池大黒店」さんの「おこし」のことです。

《おこしとは》
米やあわ(粟)などを加熱したものを乾燥させた後に、砂糖や水あめと混ぜ合わせ固めた干し菓子のことです。

「株式会社あみだ池大黒店」さんは天保2年創業の老舗で「あわおこしや」「岩おこし」などの米菓やまんじゅうのお店ですが、今ではチョコレートやクッキーなどの洋菓子も取り扱っています。

日本婦人論」とは
福沢諭吉が明治18年(1885年)前・後編で欧米諸国の女性解放思想つづった、女性の自由と権利を主張した書籍です。

大久保利通の最後」とは
明治11年(1878年)5月14日、明治政府のトップ内務卿・大久保利通が石川県の士族・島田一郎、長連豪、杉本乙菊、脇田巧一、杉村文一、島根県の士族・浅井寿篤の不平士族6名の手によって夢を絶たれてしまいます。この事件を「紀尾井坂の変(きおいざかのへん)」といい、その現場には大久保利通が公金を横領し私利私欲に利用していたとの士族たちの書置きがありましたが、実際には公共事業に私財を投じるほどの熱心な政治家でした。

このとき、士族たちの誤解を解くことができ、大久保利通がそのあとも日本を変えようと奮闘してくれていたなら、今の日本はどのようになっていたのでしょうか。

【祖父・忠政とのエピソード】→コチラ 第1週「小さな許嫁(いいなずけ)」へ
【福沢諭吉(ふくざわゆきち)と大阪の関係について】→コチラ 第74話「東京物語」へ
【学門のすすめについて】→コチラ 第49話「炭坑の光」へ

『あさが来た』第13週76話「東京物語」感想

今回は、大久保利通夢なかばな 回でしたね。

久しぶりに登場しました!今井の父・忠興さん!!!
忠興さんの登場を心待ちにしていた方も少なくはないでしょう!
忠興さんのあさのあの掛け合いがなんとも私は大好きです(笑)

そして最後に衝撃の事態、大久保利通夢なかばで倒れる。。。

歴史として知ってはいたものの、いざドラマで見るとより一層切なかったですね。

惜しい人を亡くしました。

それにしても、今日のあさちゃんはなんだか鼻声でしたが、波瑠さん体調大丈夫でしょうか?
心配です。

今日の名言は
福沢諭吉さんの「あなたはいつかおなごの社長になりなさい。」です。
第一印象とはうって変わってこのセリフ(笑)そして、福沢諭吉役の武田鉄也さんが役にぴったりすぎて少し笑えてしまいました。

大久保卿が倒れこれからの日本政治はどうなるのか?

次回、『あさが来た』第77話「東京物語」お楽しみに!!!

『あさが来た』もくじ あらすじと解説・感想

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