あさが来た 85話 榮三郎の結婚 若奥様さち

加野屋にはめでたいことが続き、一家に榮三郎(桐山照史)の嫁・さち(柳生みゆ)が加わり、しとやかな嫁に、姑のよの(風吹ジュン)は大喜び。一方、あさ(波瑠)は相変わらず、九州と大阪を行き来し、ようやく炭鉱を復興させ、経営を軌道に乗せはじめていました。そして新次郎(玉木宏)はというと、五代友厚(ディーン・フジオカ)と美和のレストラン「晴花亭」で。。。

『あさが来た』第15週85話「大阪の大恩人」あらすじ

加野屋の奥様たち

1880年(明治13年)加野屋にはめでたいことが続き、一家に榮三郎(桐山照史)の嫁・さち(柳生みゆ)が加わりました。さちが来て、また加野屋の所帯が大きくなり、しとやかなで女性らしい嫁・さちの姿によの(風吹ジュン)は、ようやく普通のお嫁さんが来てくれたと大喜びする。このころから、あさ(波瑠)は「奥さん」。榮三郎の嫁・さちは「若奥さん」。よのは「大奥様」と呼ばれるようになりました。

千代のおままごと

1881年(明治14年)、千代(中川江奈)は数えで6歳になり、歳の近い女の子たちとおままごとをする女の子らしい娘に育っていました。ままごとをする千代たちの様子を微笑ましく見つめる新次郎(玉木宏)。しかし、母役をする千代はままごと中に「今からうち、炭鉱に行かなあかんねん」と席を立ちだすので、席を囲む友達の・かよ(細川凛乃)とみよ(かわさき鈴乃)はポカンとしてしまう。そんな千代の行動に様子に「はぁ~こらこら」と新次郎は目を丸くして、驚きのあまり口がぽっかりと開いてしまうのでした。

あさと雁助のにらめっこ

加野屋一丸となって復興に腐心(ふしん=尽力・努力)した加野炭鉱は、その後の亀助(三宅弘城)とふゆ(清原果耶)の働きもあって、少しずつ収益をあげられるようになってきました。加野炭鉱の経営がやっと軌道に乗りはじめ、安堵するあさと雁助(山内圭哉)はにこやかに語り合っていました。ここまではいつも、ふたりとも仲が良いのですが。。。あさから「銀行」のひと言が出ると一転して、ふたりは仁王さまのような形相に変わりにらめっっこをはじめる。

信用や保証のない「志(こころざし)」に金を貸すということに不安を抱く雁助は、金貸しするための審査の基準などが曖昧すぎると厳しく反対します。その言い分に、あさは一度は納得するも、もっとちゃんと考えると言って銀行経営を諦める様子はありませんでした。

銀行への思いを捨てきれないあさは独自に勉強を重ねていきます。

五代が設立した商業学校

このころ五代友厚(ディーン・フジオカ)は、大阪のさまざまな会社の経営陣となる人材を育成するための商業学校を開講し、あさはその「大阪商業講習所(おおさかしょうぎょうこうしゅうじょ)」へとやってきました。三坂(中川浩三)に案内され「大阪商業講習所」を見学しながら、大阪経済の発展に力をそそぐ五代を尊敬するあさ。しかしその講義の様子を見ていたあさは、その教室に女生徒がいないことに疑問を抱きます。

北海道の新しい商い

一方、新次郎と五代が美和(野々すみ花)のレストラン「晴花亭」で薩摩料理に舌鼓をうちながら食事をしていると、そこへ山屋与平(南条好輝)と祇園屋(旭堂南陸)のふたりがやってきて、五代が今手掛けている「北海道の商い」の話しを持ちかけます。このころ、五代はまた新しい事業を手掛けようと忙しく立ち回っていましたが、商いに興味のない新次郎はなんのことやらさっぱりととぼけた顔をします。

食べ物好みが合う五代と新次郎は、よく食事と共にしていましたが、食べ物の話しやプライベートなことは話すものの、仕事の話しは一切したことがありませんでした。

トモちゃんとシンちゃん

「You know, tasting women’s preferences with you.(よく似た女性に惹かれるところもね)」と言う五代に、自分がこうしてゆっくり食事をしていられるのも、五代があさを一人前の商人に育ててくれたおかげだと返す新次郎。英語がわかるのかと驚く五代に「まさか、まるで」ととぼけた顔で答える新次郎に五代は食えない男だと笑います。

すると五代は、あさと美和の仲が親しくなったことを話題にし、自分達も「トモちゃん、シンちゃんと呼びあおう」と提案します。突然の五代の提案に動揺する新次郎の姿に五代は大笑いすると、いつもヒョウヒョウとしている新次郎の困った顔が見たかったのだと、更にイタズラに笑う。そして、五代はこれから大阪だけでなく日本を動かしていくかもしれない可能性を秘めたあさのことをこれからも見守っていきたいと新次郎に熱く語ります。

千代のなんでだす?

ある日、千代の七夕飾りを作りながら、あさは「大阪の大恩人」五代にどうすれば、この受けた恩を返せるのかとうめ(友近)と話していると、突然。「何でだす?何でお母ちゃんは、普通のお母ちゃんと違てるの?」と、千代は働いてばかりいるあさに質問を投げかけます。

元祖・何でどす娘のあさも、この千代の思わぬ「何でだす?」は突然すぎるのでした。

『あさが来た』第15週85話「大阪の大恩人」解説

今回は「大阪商業講習所(おおさかしょうぎょうこうしゅうじょ)」「薩摩のたきもの(煮物)」「北海道の新しい商い その①」について解説していきたいと思います。

大阪商業講習所(おおさかしょうぎょうこうしゅうじょ)」とは
1880年(明治13年)11月に、五代友厚、福沢諭吉門下(慶應義塾)生の加藤政之助らによって開設された商業に特化した教育機関です。1885年(明治18年)には、大阪府へ移管さえれ府立大阪商業学校に改名され、旧・大阪商科大学や、今の大阪市立大学などに至る大阪教育の起源と言われています。

薩摩のたきもの(煮物)」とは
五代と新次郎が、美和のレストランで食べていた「薩摩のたきもの(煮物)」が気になって調べてみました。すると、薩摩の郷土料理の「豚肉のみそ煮込」であることがわかりました。この薩摩の郷土料理の「豚肉のみそ煮込」は薩摩の男たちが男手で作り、祝い行事などにグラスを手に囲んで食べるようなワイルドな男料理のようです。

薩摩の郷土料理の「豚肉のみそ煮込」の簡単な作り方は、厚めの豚肉(バラ肉・三枚肉)をぶつ切りにして炒めところに、薩摩焼酎を加えます。アルコールが飛んだところに、水を加え、柔らかくなるまで煮ます。そして、大根やニンジン、こんにゃくなどをさらに加え、しょうが、黒砂糖、味噌の調味料で味をつけ、やわらかく煮れば完成です。

今晩の夕飯のおかずにいかがでしょうか?

北海道の新しい商い その①」とは
このころの北海道では、国をあげて1869年(明治2年)ごろから開拓事業が進められていました。1871年(明治4年)には、ロシアに対抗して国力増強に必要性を訴えた元薩摩藩士で北海道開拓長官の黒田清隆の発案によって「北海道開拓使十年計画」が決定されました。しかし、計画が進められてもうすぐ終了間際の1881年(明治14年)に開拓使の廃止方針が打ち出され、当時国が北海道で保有していた船舶、倉庫、農園、炭鉱、ビール・砂糖工場などの施設・設備を処分目的で民間に払い下げることになります。この払下げされる施設・設備を再利用して、五代友厚は新たに商いをはじめようとするのですが。。。ここから先は、物語が進む中で解説していきたいと思います。お楽しみに!

【大阪の大恩人・五代友厚について】→コチラ 第4話「小さな許嫁(いいなずけ)」解説へ

『あさが来た』第15週85話「大阪の大恩人」感想

今回は、新次郎と五代友厚の友情な回でしたね。

日が明けてみたら、榮三郎くんが結婚してしまっていました。。。びっくりぽんです!!!

榮三郎くんとさちさんの馴れ初めとか、結婚の模様が楽しみだったので、ちょっと残念ですが。ここはたぶん。いや、きっとこれだけ大きくカットしたのですから「スピンオフ」があるはず!と、私は勝手にふんでおります(笑)

そして、新次郎さんをからかう五代さん。本当にかわいい!!もう、昔ながらの親友かのように打ち解けていましたね。あの五代友厚を相手に仕事の話を一切させない新次郎さんの話術にいつもながら「あっぱれ!」です。

「若奥さん」から「奥さん」へ昇格したあさちゃん。気持ちは痛いほどにわかるよ!!負けるな!!と、朝からあさに強く共感するわたくしでした(笑)

今日の名言は
千代ちゃんの「何でだす?何でお母ちゃんは、普通のお母ちゃんと違てるの?」です。
とうとうあさの娘・千代ちゃんもお母さん同様に「何でだす?」と言いはじめましたね。おままごとをする中でも「炭鉱行かなあかんから」と言ってみたり、カエルの子はカエル?親の背中を見て子は育つという言葉がぴったりですね。

大番頭・雁助に銀行経営を考えが曖昧すぎると反対され、娘・千代の「何でだす?」にびっくりぽんなあさは、果たして千代や大番頭・雁助納得させられる説明ができるのでしょうか?
次回、『あさが来た』第86話「大阪の大恩人」お楽しみに!!!

『あさが来た』もくじ あらすじと解説・感想

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