あさが来た 96話 月曜日のへぇさん・山崎平十郎

五代(ディーン・フジオカ)の葬儀は本人の希望により大阪で行われ、五代をしのぶあさ(波瑠)と美和(野々すみ花)は、五代が自分の蓄えを増やそうとはせず、将来のある人材や会社を育てるためだけに身を削って働いていた姿を知ります。加野屋には、雇ってほしいという「へぇ」しか言わない男(辻本茂雄)と、新次郎を「お父ちゃん」と呼ぶ青年がやってきて。。。

『あさが来た』第16週96話「道を照らす人」あらすじ

五代友厚の残したもの

五代(ディーン・フジオカ)の葬儀は本人の希望により大阪で行われ、その葬儀には4,300人以上の人々がおとずれました。五代をしのぶあさ(波瑠)と美和(野々すみ花)は、五代が自分の蓄えを増やそうとはせず、将来のある人材や会社を育てるためだけに身を削って働いていた姿を知ります。

製藍工場(せいあいこうじょう)の煙と造幣局の煙が並んでいいながめだったと話す新次郎(玉木宏)にあさは、生前の五代の「後世に何を残せるかだけだ」という言葉を語り、大阪のため、未来の日本のために何を残せるかと自分たちも考えなければいけないと話します。そこへ、雁助(山内圭哉)が「月曜日のへぇさん」がまた店にやってきたと伝えにくる。

月曜日のへぇさん・山崎平十郎

月曜日の「へぇ」男(辻本茂雄)が、加野屋で働きたいたがっていると聞き、あさは働きたい理由を訊ねるも、男は「へぇ」としか答えないので「両替屋はいつの世かて信用第一だす。身元もはっきりわからへんようなお方は雇える訳もございまへん!」と憤慨するあさに、男は慌てて自分は元大蔵省の会計監査院に在籍していた山崎平十郎(辻本茂雄)だと名乗ります。

「この国の経済を立て直すには民間の銀行がしっかりせなアカン。」その思いから、大阪の店を見て回り加野屋に行き着いたと話す。元大蔵省の会計監査院で、ドイツで銀行経営も学んでいるという話しに、あさは平十郎の手を取ります。「ほんまにええんやろか?」「なんや怪しおますなぁ」という新次郎と雁助の心配をよそに、平十郎は加野屋で雇われることになりました。

正反対のあさと千代

10歳になった千代(鈴木梨央)は、さち(柳生みゆ)と仲良く「鹿鳴館(ろくめいかん)」の写し絵を見ていると、あさとうめ(友近)がやって来る。「華族(かぞく)」や名家の令嬢たちが毎日ドレスを着て、舞踏会で踊るという話に千代は憧れを抱きますが、毎日勉強も働きもせず、ひらひらとした金魚のような服を着て踊る女性たちを理解できないと話すあさ。年中化粧もせず、炭鉱で「引っ詰め髪(ひっつめがみ)」をして働いている人にはわからないと、あさとあることでケンカしていた千代は、母・あさの言葉に反感を覚えます。

五代との思い出「ベロシペード」

炭鉱事業に成功したあさは、商法会議所でも有名人になっていました。儲け話しを聞かせてほしいと寄ってくる旦那衆に「いくらでもお話いたしますが、甘い気持ちでできる商いではございまへんよって」とあさは笑顔でかわすと、奥に座る山屋与平(南条好輝)を見つけて駆け寄っていく。

イギリスからのある物の写真を見せる山屋。それは以前、五代からの手紙にあった「安全型自転車(ベロシペード)」でした。五代の言葉を思い出したあさは、、こんなもの誰も乗れやしないと笑う山屋与平と榮三郎(桐山照史)に「いいや。いつか、うちがきっと乗りこなして見せましょ!」と笑います。

あさとはつの再会

そして新次郎はというと、娘・千代に見守られながら、遊ぶ暇もなく働いていました。「遊びたい。遊びたい。遊びたい。遊びたい。。。」心の声が口から漏れる新次郎のもとにあさが慌てて駆け寄ってくる。そるとそこへ「こんにちは!」と、礼儀正しい青年が加野屋へやってきます。

青年は、新次郎の姿を見つけるやいなや「お父ちゃん!」と呼ぶので、加野屋は騒然とする。すると「冗談や!僕です。あさおばさん、藍之助です。」と青年はにっこりと笑います。あさと新次郎は、成長した藍之助(森下大地)の姿に大喜びしていると、そこへ遅れて、あさの姉・はつ(宮崎あおい)と姑・菊(萬田久子)が加野屋へやって来ました。

あさとはつ、10年ぶりの再会でした。

『あさが来た』第16週96話「道を照らす人」解説

今回は「製藍工場(せいあいこうじょう)」「鹿鳴館(ろくめいかん)」「大蔵省の会計監査院」「華族(かぞく)」「引っ詰め髪(ひっつめがみ)」について解説していきたいと思います。

製藍工場(せいあいこうじょう)」とは
藍植物による染料加工「藍染め」をする上場をさします。繊維を美しく藍染するためには、繊維に灰を揉んだり、温度を、25℃~30℃に調節する必要があります。そのため、工場の煙突から煙(蒸気)が常に上がっていました。

明治初期の国産の藍染の技法はまだまだ未熟で、インドなどからの輸入に頼っていました。そんな中、五代友厚は、国内産業を立て直すため、藍染製法を研究し、300名を越える従業員を動員した、近代的製藍所を建設しました。五代の手がけた製品は欧米諸国に輸出され、明治10~11年ごろをピークに最盛期を迎えますが、明治16年。またも輸入製品におされ閉鎖されてしまいます。

五代友厚(ごだいともあつ)が建造した製藍所・西朝陽館(にしちょうようかん)が建っていた場所は、大阪府大阪市北区の堂島三丁目付近。現在のNTTDATA堂島ビルあたりです。

鹿鳴館(ろくめいかん)」とは
明治政府が国賓や外交官との接待の場として建てられた社交場のことです。欧化主義が広まった明治10年代後半に幅広く利用され、この頃を「鹿鳴館時代」とも呼ばれています。

鹿鳴館は、レンガ造りの2階建て、1階には大食堂や談話室、書籍室などがあり、2階にはビリヤードも設備された社交場・パーティー会場が3部屋ありました。その広さは、扉を開け放って1つの部屋として使うと200畳(約 330m2)もなる大広間に。明治政府がおしすすめた欧化政策を象徴する絢爛豪華な建物です。

当時、鹿鳴館があった場所は、現在の東京千代田区内幸町、帝国ホテル隣のNBF日比谷ビル付近。明治13年(1880年)に着工され、ジョサイア・コンドル氏の設計により、明治16年(1883年)7月に3年がかりでようやく完成。しかし、昭和15年(1940年)に、一等地にこれほど広い敷地を遊ばせているのは不経済だとの理由で、鹿鳴館が取り壊されてしまいます。

大蔵省の会計監査院」とは
国の会計経理が適正に行われているかどうかを会計検査し、国の会計経理を常時監視・監督する機関です。明治2年(1869年)に、太政官の会計官の一部局として設けられ、その後、時代の中で変遷をくりかえし、明治13年(1880年)に、内閣の大蔵省に直属する財政監督機関として設けられました。

華族(かぞく)」とは
明治2年(1869年)から昭和22年(1947年)まで日本でもちいられていた貴族階級の名称です。公家や皇族、江戸時代の藩主に由来する者、国家に尽くした功績者を華族(貴族)としていました。

引っ詰め髪(ひっつめがみ)」とは
前髪も含めて全体の髪の毛を引っぱりながら後ろできつく束ねたポニーテールのような髪型のことを言います。

【五代友厚とベロシペード解説とエピソード】→コチラ 第9話「ふたつの花びら」へ

『あさが来た』第16週96話「道を照らす人」感想

今回は、加野屋に新しい仲間が加わりましたな回でしたね。

月曜日のへぇさんこと山崎平十郎さんが加野屋へ加わりました。

元大蔵省の会計監査院で働いていて、ドイツで銀行経営学を学んでいたということが本当なら、これほど心強いことはありませんよね!!でも、新次郎さんや雁助さんが言うとおり、怪しさも拭い去れないのでまだまだ不安は残る人物でもあります。これから加野屋はどうなっていくのでしょうか?そして、あさと千代のケンカの理由とは???

今日の名言は
あさの「いくらでもお話いたしますが、甘い気持ちでできる商いではございまへんよって」です。
儲かるとわかったとたんにウマイ話とよってきた旦那衆にやんわりとトゲなくかわすあさの技量にあっぱれでしたね。さすが炭鉱事業を切り拓いてきた大阪一のおなごの商人です。

加野屋に新しい仲間・平十郎が加わり、加野銀行設立が現実味をおびてきあした。そして次週は「最後のご奉公」いよいよあさとうめに別れのときがやってくるのでしょうか?
次回、『あさが来た』第97話「最後のご奉公」お楽しみに!!!

『あさが来た』もくじ あらすじと解説・感想

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