あさが来た 99話 忠興と千代の出合い

加野屋の炭鉱事業は規模も拡げ、これまでの5倍の利益を上げ、加野屋の事業は躍進(やくしん)していました。あさ(波瑠)は平十郎(辻本茂雄)の協力してもらいながら銀行設立の準備を進めていました。そして、あさは新次郎(玉木宏)と娘・千代(鈴木梨央)を連れ、父・今井忠興(升毅)の祝賀会へと東京へ向かいます。そこではじめて孫・千代の姿を見た忠興は。。。

『あさが来た』第17週99話「最後のご奉公」あらすじ

躍進(やくしん)する加野屋

そのころ、加野屋の事業は躍進(やくしん)をとげていました。

あさ(波瑠)は銀行に先駆け、まずは新次郎(玉木宏)を社長とした加野屋の商業部門を担当する「加野屋商店」を設立し、炭鉱へ通いつめ、加野屋の炭鉱事業は規模も拡げ、これまでの5倍の利益を上げるようになります。

亡くなった五代(ディーン・フジオカ)の言葉を胸に加野屋は、大阪への恩返しのために大阪港の海防工事に3.500円という大金を大阪市に寄付します。

加野銀行への準備

そしていよいよ、加野銀行開業まで、あと一年とせまり、あさは平十郎(辻本茂雄)の協力を得て銀行設立の準備を進めていました。

目の回るような銀行設立準備を楽しそうにする平十郎を見た新次郎は、「竹屋の火事(ポンポン言うてる)」と笑います。そんな新次郎の言葉に平十郎は、「やもめの行水(勝手に湯うれ)」と返して笑いあう。

すると、あさは新次郎と娘・千代(鈴木梨央)とともに、東京に住む、あさの父・今井忠興(升毅)の祝賀会へと向かうのでした。

忠興と千代のはじめての出合い

はじめて孫・千代を見た忠興は、幼い日のあさに瓜二つの姿に驚きますが、その見た目とはうらはらに、小さいころのあさとは似ても似つかない、女の子らしい、しっかりと挨拶する千代の姿に忠興は大喜びします。

あさは加野屋へ戻ると、東京で外務大臣・井上馨(いのうえかおる)や大蔵大臣・松方正義(まつかたまさよし)、そして、時の内閣総理大臣・伊藤博文(いとうひろぶみ)に本気で銀行をするつもりなら、渋沢栄一(ふじさわえいいち)に教えを請う方がいいと助言されたと話し、時の内閣総理大臣・伊藤博文とあさが対等に話をしていたと知った雁助(山内圭哉)は度肝を抜かれる。

渋沢栄一とは「西の五代、東の渋沢」と、五代とならび称された「銀行の神様」と呼ばれる人物でした。あさは渋沢栄一に教えを請おうと意気込みます。

うめと雁助の幸せ

そんな中、大番頭・雁助のもとに度々手紙が送られてきていて、手代の弥七(竹下健人)の話では、雁助が加野屋を辞めるのではないかと噂(うわさ)になっていた。

その話に平十郎は「大番頭さんはこの加野屋にとっての財産です!」言うと、雁助だけでなく、もし有能な働き手を連れて雁助が辞めるとなると加野屋にとって、大きな損失になると話します。

あさと新次郎、榮三郎(桐山照史)が心配する中、加野屋の店の前で猫にエサをやる雁助と一緒に猫を可愛がる、うめ(友近)の幸せそうな姿を見ていたあさは、ある辛い決断を下します。

『あさが来た』第17週99話「最後のご奉公」解説

今回は「大阪港の海防工事に3.500円」「銀行開業までの準備」「竹屋の火事(ポンポン言うてる)とやもめの行水(勝手に湯うれ)」「明治の内閣大臣」について解説していきたいと思います。

大阪港の海防工事に3.500円」とは
この当時の3.500円とは現代価値に換算すると、70.000.000円(7000万円)です。

銀行開業までの準備
これからあさが銀行開業までに行わなければならない準備は、預金集め、貸し付け先の開拓、そのための諸会社や資産家へのあいさつ回り、公債、投資先株式などの知識あつめ、銀行業者の同業組織・大阪同盟銀行集会所への加盟、為替など他銀行への取引開始のあいさつ回り、新聞などの開業広告などなど。。。本当に目が回りそうな業務ですね。

竹屋の火事(ポンポン言うてる)とやもめの行水(勝手に湯うれ)」について
竹屋の火事(ポンポン言うてる)」とは、故事のことわざで、竹が焼けると、節がはじけて、ポンポンと音を立てる様子から、怒っったり大きな声でぽんぽんと文句を言ったりすることの例えで使われる言葉です。

やもめの行水(勝手に湯うれ)」とは、「やもめの行水」は、勝負事に負けたにも関わらず不平不満を言う者に対して、勝者が投げる言葉です。

「やもめ」は一般的に、未婚男性、妻を亡くした男性のことを表す言葉ですよね。そのやもめ(男性)が近所に行水(お風呂)の湯を借りに来たら、、「行水でもなんでも勝手にすればいい」「湯でもなんでも好きなだけ持っていってかまわないから、早く帰ってくれ」となるのが人の性だという、大阪人のしゃれた言い回し(隠語)というわけです。

明治の内閣大臣」について
内閣総理大臣・伊藤博文(いとうひろぶみ)」とは
長州藩出身で、松下村塾門下生、桂小五郎(のちの木戸孝允)、高杉晋作、久坂玄瑞ら尊皇攘夷活動に奔走し、倒幕に参加する。明治維新後は兵庫県知事となると、その後は新政府内で政治家として活躍。明治18年(1885年)に初代内閣総理大臣となります。

外務大臣・井上馨(いのうえかおる)」とは
通称名・井上聞多、長州藩出身。文久3年(1863年)に伊藤博文らとロンドンに留学。西洋文化に触れ、その実力を痛感した井上らは開国と富国強兵論を掲げ、倒幕運動に参加。高杉晋作らの外交通訳としても活動し、明治維新後は桂小五郎(のちの木戸孝允)の口ぞえで新政府に入ると、伊藤博文と行動をともにし、伊藤が内閣総理大臣に就任と同時に外務大臣就任。

大蔵大臣・松方正義(まつかたまさよし)」とは
元薩摩藩士。幕末は島津久光の側近として活動し、明治維新後は、大蔵卿・蔵相を務め、大規模な紙幣整理を強行。フランスやイングランド、ベルギーなどの海外諸国の銀行を精査し、日本銀行を創設。資本主義の基礎をつくり、財政指導者として功績を残す人物。

銀行の神様・渋沢栄一(しぶさわえいいち)に関しては、また後日。。。

【あさのはじめてのあいさつエピソード】→コチラ 第3話「小さな許嫁(いいなずけ)」へ

『あさが来た』第17週99話「最後のご奉公」感想

今回は、あさの父・忠興さんもびっくりぽんな回でしたね。

あさの小さいころに瓜二つの千代ちゃんに、おじいちゃん・忠興さんも目をゴシゴシこすって驚いていましたね。演じてる子役ちゃんが同じなので当然なんですが(笑)

あさ、千代と二代に渡って演じる鈴木梨央ちゃんの演技力にもびっくりぽんです。

そして、名だたる政府要人たちと堂々と渡り歩いていたあさに、新次郎さんはヒヤヒヤしてと話していましたが、一番肝を冷していたのは父・忠興さんなのでは。。。と想像すると思わず笑ってしまった今日の「あさが来た」でした。

今日の名言は
平十郎さんの「大番頭さんはこの加野屋にとっての財産です!」です。

まったくその通りですよね。加野屋に勤めて間もない平十郎さんですが、さすが元政府勤めといったところでしょうか。

たびたび雁助のもとへ送られてくる手紙の正体は!?あさが下した決断とは!?どんどん週末が近づいてきます!!!
次回、『あさが来た』第100話「最後のご奉公」お楽しみに!!!

『あさが来た』もくじ あらすじと解説・感想

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