あさが来た 114話 千代の友達・田村宜

あさ(波瑠)を訪ねてやってきた閻魔紙(えんまがみ)4番の男・成澤泉(瀬戸康史)が、銀行で女性を雇う決断をしたあさへ尊敬の念と女性教育の大切さを高々と称え、熱弁を振るっていた成澤。しかし、成澤は突然あさへと倒れ込むと、驚いたあさに投げ飛ばされ失神してしまう。。。

『あさが来た』第19週114話「みかんの季節」あらすじ

新次郎、目の保養に京都へ

加野銀行を出た新次郎(玉木宏)はフラりと娘・千代(小芝風花)の様子を見に京都の女学校を訪ねていた。

当世風のおなごばかりの女学校の様子に新次郎が驚いていると、そこへ田村宜(吉岡里帆)と楽しそうに話しながら授業を終えて戻ってくる千代。早くも学校に馴染んでいる娘・千代の姿に新次郎は嬉しくなり顔をほころばせます。

突然の父・新次郎の訪問に驚く千代と宣。

閻魔紙(えんまがみ)4番の男・成澤泉

新次郎が京都の旅で家を空けていたころ、大阪の加野銀行では、あさ(波瑠)を訪ねてやってきた閻魔紙(えんまがみ)4番の男・成澤泉(瀬戸康史)が、銀行で女性を雇う決断をしたあさへ尊敬の念と女性教育の大切さを高々と称え、熱弁を振るっていた成澤。しかし、成澤は突然あさへと倒れ込んでしまい、驚いたあさに投げ飛ばされ失神してしまう。

あさやうめ(友近)が成澤を看病していると、店で誰かが倒れたと聞きつけたよの(風吹ジュン)とかの(楠見薫)が駆けよってきて、服装に見合わないきれいな顔立ちの成澤を見て「これが最近流行りの”清貧(せいひん)”か」と色めき立っていると、女子行員・中川ハト(加藤千果)がいそいそとやってくると、ハトは、その男に見覚えがあると話し、自分の通っていた桃沢女学校の先生ではないかとあさに伝えます。

あさも普通のおなご

その夜、京都の千代はふいに訪ねてきた父・新次郎の言葉を思い出していました。

千代を訪ねてきた新次郎は、誰もがあさのような女性になることがいいとは思っていない、千代の母・あさも同じことだと言い、あさも姉のはつ(宮崎あおい)のように生きることに憧れていたり、一緒に店で働いてほしいと願っている一方で、本当にそれでいいのか悩んでいたり、新次郎から見れば、あさはそんなに強い女性ではないのだと笑っていたのだった。

日本初の女子大学校を創る

数日後、改めて加野銀行へやって来た成澤は、3日間なにも食べいなかったものでその節は申し訳なかったと照れ笑いをしながらやってくる。

あさは成澤の体調を気遣いつつも、今は忙しいといってその場をあとにしようとすると背後から「女子の教育に関心はおありですか!?」と、成澤は大きな声であさを呼び止めると「日本ではじめての女子の大学校を創る」という大きな夢を語り、自身が書いた教育論をあさに渡し去っていきます。

その夜、成澤の書いた「女子の教育二就テ」と題した教育論を読んだあさは、感動と衝撃のあまり涙する。この原稿との出会いが、あさを新たな舞台へと導くこととなります。

『あさが来た』第19週114話「みかんの季節」解説

今回は「当世風のおなご」「千代の友達・田村宜(たむらのぶ)」「清貧(せいひん)」「桃沢女学校(ももさわじょがっこう)」について解説していきたいと思います。
当世風のおなご」とは
時代の流れに沿った風俗・風習や考え方、流行を持っているさま。つまりは「今時の娘たち」という意味です。

千代の友達・田村宜(たむらのぶ)」とは
田村宜のモデルは、あさ(広岡浅子)がこのあと設立する「日本女子大学」の第一期生で、のちに日本女子大学4代目校長なる「井上秀(いのうえひで)」さん。

「井上秀(いのうえひで)」さんは、明治8年に生まれの兵庫県春日町山田出身の日本初の女性家政学者。井上秀さんは、10歳で氷上高等小学校に入学しますが、生徒の男女比は男子50名、 女子3名。当時は、まだ女子に教育は不要のものという考えが強い環境でした。

しかし、そのときの担任の今井まき子先生から 「女に学問はいらないというのは古い考え方です。 これからは女子も大いに勉強して国家に尽くす人にならなければいけません」 という言葉に感化され、今井秀さんは猛勉強し、関西でも名門女学校・京都府立第一高女に進学。

女学校を卒業後、浅子の娘・亀子(千代)の同級生だった今井秀さんは、その頭の良さと誰にも物怖じしない器量を広岡浅子さん(あさ)に気に入られ、加島屋(加野屋)で広岡浅子さん(あさ)の右腕として働きます。

しかし、家の事情で一旦は実家に戻り、婿養子を取り結婚して女児を出産し家庭にはいりますが、明治34年26歳で日本女子大の第一回生として家政学部に入学すると、井上秀さんはその後アメリカに留学して家政学を学ぶなど、女性教育の最先端を進みます。

その後、昭和6年57歳で日本女子大学4代目校長に就任します。

※家政学とは、家庭生活を中心とした人間生活における人間と環境の相互作用について研究した学問。自然・社会・人文・生活の向上と福祉に貢献する実践的総合科学のことであり、現代では人間環境学とも呼ばれています。

清貧(せいひん)」とは、
私欲がなく行いが正しいために、生活が貧しく質素であるという意味で、日常生活に物質的な問題をきたす「貧窮」や「困窮」、「赤貧」などとは根本的に違います。

「清貧(せいひん)」とは、物や金への執着を捨てて、人の内面的な生活の豊かさを求める思想で、生活は可能なかぎり簡素にし、心を豊かに生きようというものです。

桃沢女学校(ももさわじょがっこう)」とは
成澤泉のモデル・成瀬仁蔵が大阪で教鞭をとっていた「梅花女学校」のことでしょう。

成澤泉のモデル・成瀬仁蔵は明治11年に、同士の澤山保羅とともに梅花女学校を設立。主任牧師として教鞭を取りますが、女子教育をもっと広めたいと女子の教育を学びにアメリカへ4年留学すると、また大阪へ戻ってきます。その直後が、今の「あさが来た」の舞台です。
【成澤泉について】→コチラ 第102話「最後のご奉公」解説へ

『あさが来た』第19週113話「みかんの季節」感想

今回は、ようやく成澤泉との運命を感じたな回でしたね。

成澤さんの熱意がやっとあさに通じた回でしたね!本当によかった!

ずっと熱意だけがカラ回っていて、ただの変質者でしかなかったですしね?一時はどうなってしまうのかと本当に心配になりましたよ。。。

こんなことならはじめから手紙を出せばよかったのでは??と、少し無粋な気持ちになってしまいました;;;いけませんね(失笑)

今日の名言は
新次郎さんの「お父ちゃんの目から見たらな、お母ちゃんかて、そない強いおなごあれへんのやで?」です。

何気ないひと言でしたが、このひと言で千代のあさに対するイメージにまた少し変化が生まれたような気がします。

成澤の教育論を読み感動と衝撃のあまり涙するあさ。これからあさと成澤の関係はとどのように変わっていくのでしょうか!?

次回、『あさが来た』第115話「今、話したい事」お楽しみに!!!

『あさが来た』もくじ あらすじと解説・感想

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