あさが来た 118話 あさ大隈重信との出会い

あさ(波瑠)は大隈重信(高橋英樹)から直接アドバイスを聞くために単身東京へ向かう。大隈邸には、多くの訪問客で溢れかえり、たくさんの男たちが大隈へあさやこれやとさまざまな相談を持ちかけていた。大隈の妻・綾子(松坂慶子)に案内され大隈の前に通されたあさは。。。

『あさが来た』第20週118話「今、話したい事」あらすじ

あさ単身東京へ

あさ(波瑠)はさっそく大隈重信へ手紙を書きます。そして、なかなか返事の来ない大隈に対し、あさは直接アドバイスを聞くために単身東京へ向かいます。その後ろ姿を、ジッと見つめる萬谷与左衛門(ラサール石井)。

そのころ、炭鉱、銀行とつくったあさがまた女子大学校設立に入れ込んでいるという噂(うわさ)が、またちまたで流れはじめていました。

「おなごが目立ついうのは、ええことばっかりやあらしまへんよってなぁ。」義母・よの(風吹ジュン)の言葉に新次郎(玉木宏)も心配な気持ちになる。

大隈重信の妻・綾子との出会い

東京に到着したあさが、大隈邸へとやってくると、そこは多くの訪問客で溢れかえり、玄関先は男物の靴で溢れかえっていた。脱ぎ散らかされた靴をあさがそろえていると、そこへ大隈重信の妻・綾子(松坂慶子)がやってくる。

あさは綾子に案内され大隈重信(高橋英樹)の前に通されると、そこはたくさんの男たちが大隈へあさやこれやとさまざまな相談を持ちかけていた。綾子は大隈にあさを引き合わせると、あさは一気に周りの殿方の目を引き、注目を集める。

大隈重信へのプレゼンテーション

あさは大隈重信を前に、物怖じすることなく堂々挨拶をすると、女子大学校設立の必要性を訴えかける。そんな威勢のいいあさに大喜びする大隈は今の日本の女子教育について語りだす。

今の必要とされている日本女子教育の指針は「賢母良妻(けんぼりょうさい)」。西洋諸国に比べれば日本は女子教育が遅れているのは確かだが、西洋でもまだ女子大学校の設立は困難だといわれている中で、それをこの日本に導入するのかは早急だと大隈は話す。

しかしあさは、改めて男子にくらべ女子は婦女の道徳教育に比重が置き、世に出て役に立てる実学が少ないことと指摘し、はじめから男子は学問、女子は花嫁修行と教育の目指すところが明らかに異なっていると熱弁。

大隈の「賢母良妻がおなごの主たる天職である」の言葉を実現するためにも、世の中の動きに疎い女性だけではいけない。「賢母良妻」になるためこそ男女の教育に区別すべきではない。100年先の世を見据え政府は教育の方針を立てるべきだと強く訴え咳き込みはじめる。

「おなごもまた、社会の一員となり、生きるすべや人を助けるすべを身につけ、幸せを感じ、社会のためになるように励むこと。これこそがおなごの高等教育が必要な理由だす!」

その言葉を食い入るように聴いていた大隈は「いや、これは見事なり!」と感嘆し、これほど反論せずに聞き入ったプレゼンテーションは東京農林学校の福羽氏のイチゴ栽培の話しを聞いた以来だと大喜びする。

大隈重信と心通わせるあさ

大隈は、昼食にしようと男たちを一旦下がらせ、日本の教育がこのままではいけないことは政府も理解していしているが、男子教育もままならない今、女子教育が後回しになっていると今の日本の教育の現状を語る。

あさの実直な弁舌に誠意を感じた大隈は、痛むひざのをさすると過去に自身の身に起こった事件を思い出し、寂しそうに「本当の味方」など1人も居ないかもしれないともらす大隈の言葉にあさも同調し、政の世も商いの世も、どこか「生き馬の目を抜く」ような、せちがないところがあると寂しそうに笑う。

”政治や商いと教育は違う”

「結局この世に二心なく残せるのは人材だけだ。」とふたりの意見が合致すると、大隈はあさにできる限りの協力をすると約束する。

そのころ、大阪では千代(小芝風花)が休暇で、親友の宜(吉岡里帆)を連れて戻って来る。

『あさが来た』第20週118話「今、話したい事」解説

今回は「大隈重信(おおくましげのぶ)」「賢母良妻(けんぼりょうさい)」「生き馬の目を抜く(いきうまのめをぬく)」「二心なく(ふたごころなく)」について解説していきたいと思います。

大隈重信(おおくましげのぶ)」とは
現在の佐賀県佐賀市水ヶ江、佐賀藩士大隈与一左衛門信保の長男として生まれ、6歳のときに藩校・弘道館に入りますが、武士道ばかりを重んじる学風に嫌気をさし、16歳のときに国学者・枝吉神陽の勤皇結社「義祭同盟」に加入。その後、蘭学に興味を持ち、長崎遊学し、アメリカ人宣教師のもとで英語を学ぶとオランダ憲法やアメリカ独立宣言など国政に興味を持つ。

明治維新後、外国事務局判事となると、イギリス公使パークスと論争をくりひろげ外交において政界で名をはせる。明治15年(1882年)大臣在職中に東京専門学校(現・早稲田大学)を開校させると、明治21年(1888年)50歳で外務大臣に就任。しかし、政治の方向性の違いから反感をかい、明治22年(1889年)10月18日反対派の来島恒喜により襲撃を受け、右脚を失い大臣を辞職する。この事件を大隈重信遭難事件といいます。

明治40年(1907年)、69歳のときには早稲田大学総長に就任。その後も政界への辞職と復帰をくり返し大蔵卿や外務大臣、農商務大臣、内閣総理大臣、内務大臣などを歴任し、大正11年(1922年)1月10日に眠りにつくと、1月17日東京・日比谷で国民葬が行われました。

賢母良妻(けんぼりょうさい)」とは
夫には人生の伴侶としてよき妻であり、子供には教育に励む賢い母であることを意味する。

生き馬の目を抜く(いきうまのめをぬく)」とは
生きている馬の目を抜き取るほど、すばやく人を出し抜くような抜け目がないさまのこと。「油断もすきもない」という意味のことわざです。

二心なく(ふたごころなく)」とは
仲間などにそむく裏心ないこと、裏切りや疑いのない面持ち。

『あさが来た』第20週118話「今、話したい事」感想

今回は、新たな心の友を得るな回でしたね。

あさと大熊さんとの心が通じるシーンが神秘的と言うか出会うべくして出会った感がいい感じで演出されていて、個人的にとても好きな回になりました。

以心伝心というか”心の友”と再会したような。。。

そう!”心の友”で思い出しました!五代さまファンに朗報です!

来週の「あさが来た」で五代友厚が復活!?なにやらNHKの某番組によると、来週の本編で五代さんの登場シーンがあるとのことで今からウキウキしております!!

他にも情報がいろいろありまして。。。

大阪取引所前、大阪商工会議所、光世証券(←こちらではなんと五代友厚像と握手ができる!)
大阪企業家ミュージアムの五代友厚のエリアには、なんとディーン・フジオカさんのサインがあるというじゃありませんか!!これはチャックしないといけないかもしれません!!

今日の名言は
大熊さんの「賢母良妻がおなごの主たる天職である」です。

本当にこればかりは男性にはできない女性にだからこそできることですからね!個人的には深く感じ入った言葉でした。

大熊の協力を得たあさと成澤の大学校づくりはどのように進展していくのか!?そして、あさを恩恵する宣が加野屋へやってきました。ふたりはどんな出会いを果たすのでしょうか!?
次回、『あさが来た』第119話「今、話したい事」お楽しみに!!!

『あさが来た』もくじ あらすじと解説・感想

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