『あさが来た』4話「はつの許婚・惣兵衛は白蛇さん。あさはじめての姉の涙」

あさ(鈴木梨央)と姉・はつ(守殿愛生)の嫁ぎ先である両替屋の山王寺屋で
許婚(いいなずけ)の惣兵衛(柄本佑)と初顔合わせをする。
京都に戻ったあさとはつは、自分たちの結婚への不安を口にすると、
はつの瞳からは涙があふれだす。。。

『あさが来た』第1週4話「小さな許嫁(いいなずけ)」あらすじ

あさ(鈴木梨央)たち今井家一行は、
姉のはつ(守殿愛生)の嫁ぎ先である
両替屋・山王寺を訪ねる。

しっかりとしたあいさつをするはつに、
山王寺屋の主人・眉山栄達(辰巳琢郎)と、
どこか癖のある女将の菊(萬田久子)は感心する。

しかし、
はつの許婚の惣兵衛(柄本佑)は終始、
無表情のまま落ち着かない様子で座っている。

まるで能面のような惣兵衛に
はつは不安そうな表情を浮かべる。

聡明で美しく育った
はつの姿に喜ぶ栄逹は、
自慢の娘を嫁にやるのが
惜しくなるのではと
冗談めかしにいうと
忠興(升毅)は謙遜するが
まんざらでもない様子。

そして、変わりゆく時勢の中で
お互い商いが厳しくなると
話をする忠興と栄逹だったが、
そこへ菊が割って入ると、
大阪一の両替屋の山王寺屋の
蔵の金銀は流れる淀川のように
尽きることはないので心配無用と
カラ威張りにも見える言葉を並べると
大きく高笑いをする。

顔合わせの場で、
はつは自慢の琴を披露することになり
そのはつの琴に惣兵衛はいい琴の音だと
聞き惚れていた。

そこへ、ひとりの武家が借り入れへやってくる。

その男は、薩摩島津家家中、
薩摩藩士・五代才助・友厚(ディーン・フジオカ)
藩主の言いつけで上海で買い付けた代金の
用立てをたのみにきたのだった。

しかし、対応に出た惣兵衛は、
今しがた幕府に用立てたところで
蔵に金がないと言うと
少しでも用立てれるように
考えさせてももらうのでと言って
断ってしまう。

その様子を影から見ていた
あさとうめ(友近)は
蔵には金銀が尽きないと
菊から聞いたばかりなのにと
驚いていた。

才助の姿が見えなくなると惣兵衛は
「だれが薩摩なんぞに貸すか」といい放つ。

騒ぎを聞きつけて忠興と菊が出向くと
惣兵衛は無粋な客が来て申し訳ないと
笑いかけるが、忠興はそんな惣兵衛に
イチマツの不安を感じるのでした。

1人座敷に置かれたはつは
部屋に飾られた能面を見つめ
惣兵衛の顔を重ね合わせ不安になる。

その夜、
大久保一蔵(柏原 収史)と膳を囲む才助は、
用立てを断られたことを一蔵へぼやくと
イギリスとの交易がはじまれば
大坂の商人なんぞつぶしてやる!と
いきまいていた。

そんな才助に一蔵は
「銭があれば天下人
今日のおい(自分)は下人じゃ」と言い
今日は持ち合わせがないと
才助に用立てを頼むが
当の才助も手持ちがないと答える。

どちらも用立てを頼もうとしていた様子で
2人は慌てて自分の懐をまさぐり出すのでした。

この、小銭を探している青年は
やがて明治維新の立役者となる
大久保利通となります。

そして、この五代才助も
のちの五代友厚と。。。

このはなしはまたのちほどに。

京都に戻ったあさとはつは、
親の決めた結婚について不安を口にする。

顔合わせ中、一度も笑顔を見せることもなく
冷たい印象の惣兵衛の元へ嫁ぐことが
不安になったはつ。

そんなはつにあさは
顔が青白く、目の細い惣兵衛を
「白蛇」のようだと例え
はつを笑わせようとするが、
その言葉が逆にはつの気を悪くし
はつはあさに背中をむけてしまう。

そんなはつを見ていたあさは
はつの背中が振れていることに気づく。

泣いてるの?と聞くあさに
泣いてない!とはつは言うが
あさははつの目から
涙があふれだすのを見てしまう。

あさが手ぬぐいを差し出すと
涙をぬぐったはつは、
今まで平気だ平気だと
自分に言い聞かせていたけど
なんだか悲しいねと言うはつは
大坂へ行きたくないけど
行かないといけない
どうしたらいいのかと
あさを抱きしめ泣き始める。

それはあさがはじめて見た姉の涙。

あさもそんなはつを見て
一緒に泣いていると
久太郎(二宮輝生)が目を覚まし
大泣きしている姉たちの姿に
驚いて母・梨江(寺島しのぶ)を
呼びに走るのでした。

『あさが来た』第1週4話「小さな許嫁(いいなずけ)」解説

今回は「薩摩島津家」「五代才助」について解説していきたいと思います。

薩摩島津家
島津家は、秦の始皇帝の末裔と称する一族で
源頼朝から地頭に任じられ「島津」を称したのが始まり。

その後徳川綱吉の養女・竹姫が
島津家の後妻として嫁ぎ親戚関係を持ってからは、
徳川家11代、13代将正室に名を連ね
篤姫との婚姻は有名。

将軍家御台所を2人も輩出したことは異例中の異例であり、
幕藩体制下にあっても、その影響力は大きいものでした。

幕末にいたっては、尊皇倒幕の志士を多数輩出し、
倒幕の中心的役割を果たします。

明治になり、島津家は爵位を与えられ
今上天皇(現天皇)の母方の祖母は、島津忠義の七女。

現在の皇室との血縁もある
日本でも有数の名家として知られています。

五代才助
天保6年、
鹿児島藩士・五代秀尭の次男として生まれ
通称は才助、号は松陰
明治18年9月25日没 享年50歳。

お墓は大阪阿倍野区天王寺にあります。

才助は薩摩藩で郡方書役の初任についた後、
藩命で長崎の海軍伝習所にてオランダ仕官に、
航海術、砲術、測量、数学などを学びます。

藩命により上海に渡航し、ドイツ汽船を購入。

それが本編でも話に出ていた
「上海で買い付けた船」です。

その船を天祐丸と命名され、
その後に才助が船長となり
船奉行添役となっています。

船の買い付けに出た上海では
長州の高杉晋作とも出会っており、
太平天国の乱も目の当たりにする。

また、
イギリス商人のグラバーとも
交友があり、慶応元年に渡英。

イギリスでは産業革命後の
近代産業を視察しロンドンで
短銃五十五や元込小銃十二、
双眼鏡四など銃器に関する洋書を
たくさん購入していたそうです。

その後もヨーロッパを廻り、
ベルギーのモンブランと、
貿易商社の契約を結びます。

帰国後も藩の通称貿易にあたり、
薩長同盟では高杉晋作、坂本竜馬、
桂小五郎、井上聞多らとともに
勤皇運動を行う活動家でもありました。

明治に入っても、外国事務局、
大坂造幣局寮設置、大坂為替会社、
通称会社設立に尽力。

大久保利通とのつながりはとても深く、
大久保の財政力でもありました。

大阪商法会議所、大阪株式取引所、
大阪商業講習所(大阪商科大学)などを設立し、
大阪鉄鋼、関西貿易社、阪堺鉄道、
神戸桟橋会社などにも関与。

大阪商工業の近代化に大きく貢献した、
大阪の恩人として大阪商工会議所に
銅像が建立されています。

いつ話では、
その当時の才助は本編とおなじく
商人との折り合いも悪かったといいます。

【当時の身分制度ついて】→コチラ 第3話 「小さな許嫁(いいなずけ)」解説へ

『あさが来た』第1週4話「小さな許嫁(いいなずけ)」感想

今回は、白蛇と結婚?な 回でしたね。

山王寺屋さんはなかなかの個性派でしたね。
惣兵衛さんの「能面」「白蛇」は
ひどい言われようで。。。

主人の栄逹さんは
優しそうなできた人のように
見えたのですが。。。

あの惣兵衛さんの性格は
母・菊さんに原因がありそうですよね?

気になります。

今日の名言は
一蔵さんの
銭があれば天下人
今日のおい(自分)は下人じゃ です。
「武士は食わねど高楊枝(たかようじ)」ではやっていけないという
近代化を感じる言葉でしたね。

「白蛇」のような惣兵衛に
結婚が不安になって
とうとう泣き出してしまったはつ。
はつのこの不安は取り除くことができるのか?

次回、『あさが来た』第5話 「小さな許嫁(いいなずけ)」お楽しみに!!!

『あさが来た』もくじ あらすじと解説・感想

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